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#3 【続・ブラックワイフ】オレの妄想と恐れていた切り札のジョーカー

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2017年の12月下旬、クリスマスが迫ろうという季節の中、ヨメから電話があって会おうとなった3日後までの間、オレはいろんなことを妄想していた。

「話があるので、なるべく早く会って話がしたい。」
と若干焦っているように見えたのが、とても気がかりだった。そして自宅では話せない内容だということで、自宅近くのコメダ珈琲で落ち合うことにした。これには弁護士とも相談していて、モラハラ気質があるヨメとの話し合いは、自宅のような閉鎖された空間ではなく公共の場で、人目のあるところで話すのが原則だということでよかった。

オレの妄想は膨らむ

わざわざ会って話しがしたいと言ってくるからにはそれなりの内容を話したいんだと思う。いろんなことを想定していた。しかしオレの腹は決まっていた。何を言われても基本的にもう離婚する方向だった。うまくいくと思えなかった。しかし、一つだけ元に戻らざるを得ない切り札、ジョーカーが残っているとも感じていた。

その切り札ジョーカーとは・・・、妊娠だった

ヨメはこのジョーカーを持っているのかどうか、最後はそれだけが気になっていた。40代だし可能性はかなり低いのはわかっているが、ジョーカーだって1/53 、2%未満だ。ジョーカーとはそういうもの、まさかを演出するためのものだ。そして実際それぐらいの可能性は残っていた。
それ以外はエースだろうがキングだろうが関係なかった。ただ、2度ある事は3度ある、3度ある事は4度ある。そんな感じで生きてきた。まさか!という坂も転げ落ちてきた。そして約1ヶ月前を振り返るとそんな関係の悪い状況でありつつも、気分や機嫌が良い時は夜の生活を数回営んでいたのだ。可能性が低いは低いが完全に0とは言い切れない状況であった。

コメダ珈琲

末っ子を連れてヨメはやってきた。オレはものすごく緊張していてドキドキしていたが、ヨメは落ち着いていて、話し合いは冷静に進めることができた。
そして、話は構えていたほど複雑ではなくて、至ってシンプルだった。

オレに戻ってきてほしい

簡単に言うとそういう話だった。
まぁオレからは頭を下げて戻る気は全くなかったのだが、最低条件ヨメからこれが出てきたのは意外といえば意外だった。
子供たち(高学年組)とも話し合った結果らしい。

答えはもちろんNOだ!!

ただ戻って欲しい理由は、「子供たちのためにも戻ってきてほしい」って事だったので、オレの答えは「NO!」だった。
もうオレは子供のためにというだけなのであれば、むしろオレとヨメは一緒にいる必要はないと思っていた。別居しながら子供にできることをそれぞれやっていければ良い。それがオレの答えだった。

しかしヨメも引き下がらなかった。そして何を言ってもオレは戻る気はないと言うことを伝えると、話し合いの最後の最後で「オレのことが必要だ」と考え直したので、オレも考え直してほしいと言ってきた。
正直ここまで言ってくるのは想定外だった。

オレが金を止めたのが功を奏した結果なのかもしれない。しかしそれだけではない。オレは日常的な家事の結構な部分を担当していた。具体的には、毎日の食器洗い、洗濯物のを畳んで収納する。あとは小さい子供らの世話もある。他にも色々やっていたが、この辺りの稼働についてオレがいなくなって誰が負担するのか?
これは当然「出て行け!」と言い放ったヨメが負担するのが当然なところだが、そこまで考えていなかったんだろう。恐らくは高学年組に負担が回り不満が噴出しているんだろうとも思った。オレがいなくなった分を全てヨメが肩代わりしているとは思えなかった。
まぁそれはいい。

オレが家に戻ることについて即答は避けたかったので、「検討する」と先延ばしにしたが、そこでもヨメは譲らなかった。方向性だけでも決めてほしいと言われた。
しかし方向性を決めれば、答えが決まるも同然だ。オレは条件を付けた。

同居に戻る条件とは!?

  1. モラハラを認め、今後そういった行動をしない事
  2. 家計の管理はオレがすること

簡単にいうとこの2点だった。
そして、オレとヨメとで考え方の違いは埋まらないと思っているが、それでもお互いに理解しあってやっていけるか。というオレからの問いに対して答えられるかだった。

1、については話し合いの中で十分理解しているのがわかった。今までのヨメは子供の前だろうが時間帯構わず言いたい時に、話したいとき、騒ぎたいときに騒いでいた。今後は少なくとも子供達の前ではそういう言い合いになる様な事はしないと言っていた。これについては様子を見ていくしかない。

断固として金を握りたいヨメ

問題は、2、についてだった。ヨメはこれは相当嫌がっていて難色を示していた。ちゃんと管理するからだとか、少し様子を見てダメだったらにしてくれとか色々言ってきたが、オレにとってもこれは最低条件だった。そして相当難色を示すことも想定していたというかわかっていた。

そもそもその日会う前に、家計の状況を見たいので給与口座の通帳を持ってきてくれ、と頼んでいたにもかかわらず、それをバタバタしてて無理だった。持ってこれなかったとやってのけている。どうしても家計の引導を渡したくないのが本音の様だ。
最終的に6ヶ月間はオレが家計を管理して状況を把握するのと同時に正常化をはかり、その後ヨメに家計の引導を戻す。という事で合意した。

オレの意志が弱いのか、情に流されてしまったのか。いや、最終的には子供らとの生活に戻れることが最大の魅力だった。

数日後、結局3週間ちょっとで別居生活は終わり、また家族で暮らすことになった。

妄想は取り越し苦労で終えた

切り札のジョーカーは持っていなかった

最終的にオレが最も恐れていたジョーカーをヨメは持っていなかったので色々安心したが、戻るという方向性には変わりがないので、まぁそれはそれで茨の道である。

そう、ここまではまだ序章にすぎない・・・。
いばらの道どころか割れたガラスを裸足で歩いていく様な道が待っていたのだ・・・。

【つづく】

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